[摂理の御言葉]象徴・分体を見て、その実体・本体を見て考える

新約聖書において、イエス様はこのようにおっしゃいました。

「わたしを見た者は、父を見たのである。」と。

イエス様を通して神様が働かれるから、イエス様を見たことはすなわち神様を見たということでした。

 

これと同じように、象徴的なものや分体(本体の代わりとなるもの)を見たならば、その実体・本体を見なければなりません。

 

たとえばイエス様の像は世界中にあります。月明洞にもイエス様像があります。

イエス様像

 

しかし、イエス様像は象徴的なものであり、決してイエス様本体ではありません。イエス様は2000年前に亡くなられたのですから。

しかし、イエス様像を見ることで私達がイエス様の本体を見て考えるならば、それには意味があります。もしそうでないならば偶像礼拝のようになってしまいます。

象徴はその実体・本体であるものを表すものであって、それを通して実体・本体を見なければなりません。

 

月明洞には御子岩をはじめ多くの象徴的な岩や木があります。

しかしそれは象徴的なものであって、決して実体・本体ではありません。

 

御子岩も象徴です。それを見て御子を考えるようにということです。

御子岩を見ながら考えの目を開いて、神様、聖霊様、御子を考え、主を考え、三位一体と主と疎通して生きるようにということです。

まさに御子岩は神様、聖霊様、御子、救い人を教えてくれる媒酌人のような存在です。だからただ岩だけを見るのではなくて、御子岩を見て、その実体・本体である神様、聖霊様、御子、救い人を考えるようにすべきです。

それが核心なのですから。

 

2015年7月8日水曜日の御言葉より

「<象徴>を見て<主人>を考えなさい」

 


コメント (1件)

  1. アーメン
    目に見える形で示してくださっていることに感謝します。

  2. 本当にその通りです。
    実体を考えられるように象徴となる岩や木々を与えてくださった神様に感謝します。

  3. 目に見えるものを通して現れる見えない存在を考えることが重要なのですね。

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