大いなる岩の顔/104トン岩、地の御子岩

大いなる岩の顔(큰바위얼굴、The Great Stone Face)

大いなる岩の顔©摂理

御子はあらかじめご存知で、幼い時から先生に、石を掘っていくと言わせたし、結局42年後にその日の約束を成就なさった。だから、歴史を前にこの経緯を話すようになった。

大いなる岩の顔の経緯

大いなる岩の顔©摂理

大いなる岩の顔はそのものすごい重さのために104トン岩とも呼ばれています。2002年10月10日に月明洞に来るようになりました。この岩は目、鼻、口がくっきりしている人の顔の形象の石であり、角度によって違う顔が見えます。岩に見える顔が先生に似ているので先生を象徴する岩でもあります。この岩は2012年5月に持ってきた「御子岩」と一対です。

この岩を持ってくる42年前、先生が10代の初め小学生の時のことです。石幕里(ソンマンリ)に大きな岩がある田んぼがありましたが、ある日先生が教会に行く途中、普段はただ大きな岩にしか見えなかったその岩がとても大きく広く見えたので一度登ってみたそうです。

※石幕里は月明洞から下っていったところにある村

秋なので大きな岩のそばにくっついて生えていた柿の木の柿も実っていて、それをもぎ取って食べ、石の上に座って遊んだそうです。登ってみたら地面から見るのとは全く違う別天地のような気持ちになったし、岩が自然で雄大で美しく神秘的でした。

先生は『岩は登ってみなければならない。皆も登ってみれば、先生が登って感じた感情を同じく体験できるだろう』とおっしゃいました。そのため大いなる岩の顔には登るための階段が設置してあります。

大いなる岩の顔の階段©摂理

小さい時に見たからそうだったのか、あまりにも大きく広かったその岩を持って行って、家の庭に置いて、毎日遊ぼうと先生は10代のその時に心に決めたそうです。

その後も何回か教会に行き来するたびに先生はその岩に登って立ってみたりしました。柿がない時にも、田んぼの主人が稲の苗を植える時にも行ってみました。

そのようにして教会に行き来してその田んぼを通るたびに、「いつかあの岩を掘っていくのだ」という希望と夢が心に湧いて、先生は幻想に浸りました。

その石は田んぼの持ち主の奥さんがかごにご飯を入れて持ってくると、働いていた人たちが集まり丸くなってご飯を食べる場所としても使われていた岩でした。

ある日、教会に行く途中に見ると、いつもよりその岩が目について、「半分埋まっているけれど、掘り出したらどんな形だろう?」と、いつになくしげしげと眺めていました。ちょうどその時、持ち主も岩の近くで仕事をしていました。感動を覚えて行きたくて、持ち主に挨拶をして岩に登り、「岩がとてもいいです。石がとても美しく素敵なので、登りました」と言いました。

持ち主は「かっこいい岩だろう?」と言いました。そして「田んぼを耕す時に引っ掛かるんだ・・・小さい石なら転がしてどかせるけれど、大きいからそのままにしてあるんだ」と言いました。

それで先生は「いつか必ず引っ張って行って、月明洞の庭に置きたいです」と話しました。その時先生が暮らしていた藁葺き家の庭は岩を置いたらいっぱいになってしまうぐらいでした。

昔の月明洞©摂理

岩の主人は笑いながら、「そんなに好きなら持って行っていいよ。きれいさっぱり持って行きな。そうすれば田んぼも広くなるし、牛が田んぼを耕す時にいい」と言いました。

先生が「じゃあ、この岩を本当に僕にくれるんですね?そうですね?」と尋ねると、「持って行けるならあげるけど、石をあげても持っていけないんじゃないか。私もこの岩をすごく良く使っているんだ・・・。田んぼを耕して、稲の苗を植えて、遠く離れた所まで出て行こうとしたら大変だから、この岩に登ってご飯を食べて休み、柿の木の陰で昼寝もする。秋に柿ももぎ取って食べるし、とてもいい」と言って、自慢したそうです。

先生「掘って行けば田んぼが広くなっていいのではないですか。本当に僕に下さい」

主人「この大きな石をどうやって持っていくつもりだ?」

先生「持っていくのは僕の責任ですから。」

主人「掘っていけば、私としては田んぼが広くなっていいさ。」

先生「僕が大きくなったら必ず掘って持って行きます。」

主人「分かった、あげるよ。でもお前がいつになったら持っていくかな。私はその時まで待っていたら年老いて死にそうだ。クック」

そのように言って、主人は大きな口を開けて笑いました。村の中でも体格が良く力持ちのおじさんだったそうです。

このように、ついに石をくれるという言葉を聞いて、先生はその日、教会に行きますと言って別れました。その時から、「この岩は僕のものだ。でも掘って持って行ってこそ僕のものになるんだ」と思って、見るたびに想像して喜びました。

その時からこの石に心をかけ、夢を持って生きました。

その後、先生が田んぼのそばを通ると主人が、「お前、この岩を掘っていかないのか?いつ掘っていくのか?」と言って、笑いながら尋ねました。先生が掘って持って行けないとだろうと思って、からかって話す時もありました。

先生が考えてみても、ただ瞬間、口をついて出た言葉のようにも感じましたが、時になって考えてみたら御子が先生の口を通しておっしゃったことのようでした。

20歳を過ぎたある日、その石の所にまた行ってみました。持ち主が見たら、早く持って行けと催促するかと思って、持ち主のいない時に行きました。本当にとても大きな石でした。田んぼに埋まっている部分がどれほど大きいのかも気になりました。見た感じでは半分ほど埋まっているようでした。地面に埋もれている部分がどれほど大きいのか、田んぼの持ち主にも、先生にも分かりませんでした。持ち主は「完全に土の中に深く刺さっている石のようにも見えるし、ある時は浮いている岩のようにも見える」と言いながら、「掘ってみるまでは誰にも分からない」と言いました。大いなる岩の顔の形象はその当時には全く見えませんでした。掘り出した後に初めて今の形象が分かるようになりました。その時瞬間先生は祈りました。「いつかは掘って行かなければならないのに、掘っていく方法もないし、力もなくて困った。私が見るには浮いているよう岩に思える」。その時は持ち上げる装備などは考えるよしもなかった時でした。

40歳を過ぎて、月明洞の開発作業を始め、石を探して回った時も、その石のことを考えはしましたが、持ってくる自信はありませんでした。月明洞に上ってくる道のそばの田んぼの中にあった大きな岩の一つは、大きい車が通る時にしきりに引っ掛かるので、掘削機で割ってなくしました。このように同じ時期に大きな石があっても、大きな装備を使っても難しくて、割ってなくしていました。

その後、先生が海外にいた時のこと。その時、月明洞に大きな石を置く作業が再び始まりました。先生はインターネットで画面で作業現場を見ながら共に働きました。主は柿の木の駐車場の地域に大きな石が埋まっているから掘ってみなさいと啓示なさいました。その時もまだ大きな石をクレーンで運ぶという考えがありませんでした。だから幼い時に話した田んぼの岩にも手が出せないでいました。

しかし主が啓示なさったので、直ちに弟子たちに指示してインターネット画面で現場を見ながら掘るようにさせ、結局駐車場地域の大きな岩をいくつか掘り出しました。そしてその岩をすべて月明洞に運びました。

その時ふと、田んぼの中の大きな岩のことが思い出されて、先生の弟さんに指示をして田んぼの持ち主の所に行って、先生の話をし、大きな石を持って行かせてくださいと話してみるようになりました。昔、先生が小学生の時に持ち主に話をしたし、いつもその石を掘って行こうという夢を忘れはしなかったと。

行って話をしたところ、持ち主は、「持って行ったらいいよ。約束通りあげなきゃね。私は鄭総裁が好きだから」と言ってくれました。そして「プレゼントとしてあげよう」と言って、「石をうまく掘って行き、上の田んぼと下の田んぼ一つにする作業をしてくれ」と言ったので、そうしてあげることにして、石を掘る作業を始めました。作業の過程を先生は海外からインターネット中継で見守っていました。

石が一見70トンくらいに見えたのですが、掘ってみたら重さが104トンもありました。クレーンで持ち上げてみれば重量が正確に出ます。石を掘ってみたらあまりにも大きくて、田んぼから掘り出すのも難しいし、傾斜のきつい海抜400mの高地の月明洞に運ぶこともほぼ不可能なことでした。

石があまりにも重いので、150トンクレーンでも持ちあげられなくて、300トンクレーンで持ち上げて、韓国で一番パワーのあるトレーラーに載せて、あらゆる危険を顧みず、運び出しました。

トレーラーに石を載せて運ぶ時、最も傾斜がきつい所で車がパワーが足りなくて上って行けなかったので技師がブレーキを踏んだところ、石が重すぎてトレーラーのトランスミッション(変速装置)が壊れて、トレーラーが突然後ろに滑りました。ヒヤッとした瞬間に、後ろにいたフォークレーン技師がトレーラーの後ろをフォークレーンのバケットで押さえたので、大事故にならずに済みました。

先生は海外からインターネット画面で見ながら、瞬間神様と主を呼び、声を上げました。岩を載せたトレーラーが後ろに滑った時、神様が奇跡的に働かれてフォークレーンで後ろから押さえたので、トレーラーが滑り降りてくるのが止まったのでした。

岩が車から落ちていたら、トレーラーの周りにいた人たち何人かが死ぬところでしたが、全能なる神様と御子主が、車が止まるように奇跡を見せてくださいました。104トン岩を運ぶ中で最高の奇跡でした。

現場にいる弟子に急いで電話をし、けがをした人はいないのか確認し、状況を尋ねました。弟子は石が重すぎて到底手に負えないと言いました。重い石をトレーラーに載せて坂道を上って行くのが難しくて、どうしたらいいか分からないとうろたえて話していました。先生はその報告を受けて、「うろたえるな。大きなことをするためには雄々しくしなければならない。雄々しくなければ大きなことができない。心を固くしなさい。心を大胆にしなさい。私が祈ってあげる。私が共にしているじゃないか。私が隣にいる。祈ってあげる」と言って、直ちに御子に祈りました。

御子は「もっと大きな車を呼んでこなければならない。そしてブルドーザーが後ろから押して、フォークレーンが前から引っ張れば運ぶことができる」とおっしゃいました。

この日は石を降ろしてトレーラーは工場に送り、作業はできませんでした。

次の日、もっと大きいトレーラーを呼んで岩を載せ、前からフォークレーンがトレーラーを引っ張り、後ろからブルドーザーで押しながら運びなさいと御子がコーチなさった通りに先生は指示をして、その通りに行いました。

そうしたら奇跡のように石を運ぶことができました。

※2002年10月8日に岩を掘り、10月9日に岩を運ぶ最中に事故が起こりそうになり、10月10日にもっと大きなトレーラーを借りて月明洞に運んだ

御子が御力で保護なさって、ついに月明洞まで安全に上ってくることができたのです。

何かをしてうまくいかなければ、1次元上げて考えて行うのが常識だ。以前の方法でそのまましたのでは駄目なのだ。

その時までは80トンくらいしか運んだことがなく、100トンを超える石を運ぶのはこの時が初めてでした。駐車場から坂道を上って行くには、主が教えてくださった方法が唯一の方法でした。

このように大いなる岩の顔を運ぶ時、150トンクレーンでは大きな石を持ちあげられないから、もう一段階深く考えて、300トンクレーンで石を持ち上げました。また一段階次元を上げて、もっと大きいトレーラーを呼んで岩を載せ、それでも足りないのでブルドーザーが後ろから押し、フォークレーンが前から引っ張りながら月明洞まで運びました。

一人の力でできなければ、1次元上げて、もう一人が一緒にやるのだ。人々はその次元でやっていて駄目ならばやめてしまうことが多い。しかし、救い主は1次元上げればできると叫び、一層行う。御子は、御言葉を聞いて必ずもう一次元深く見て、信仰も生活ももう一次元もっと高く行わなければならないとおっしゃる。みんな、御子主の言葉を聞いて行うことが答えだ。問題の解決だ。楽に安逸に行ったら、次元が上がらない。もがきと深い祈りで最後までしなければならない。精神・心・考え・魂が一体になって行わなければならない。旧時代より新時代は1次元上げて御言葉を与え、より理想的に待遇してくださった。次元を上げてこそ原始人の生を抜け出して最後の夢と目的を成すようになる。

大いなる岩の顔は主が将来をご存知で42年前から備えておかれた石でした。すべての過程を経て石を掘って来て月明洞に置いてみたら、一方は亀の形象、もう一方は慈しみ深く謹厳な人の顔の形象が見え、さらには虎の形象まで見えました。みんな神秘的で不思議で、神様と御子に栄光を帰しました。

この岩は、アメリカの小説家ナサニエル・ホーソーン(Nathaniel Hawthorne)の作品である『大いなる岩の顔』に出てくる伝説にちなんで名付けられた。伝説を成就する主人公を象徴している。
隣に置かれた御子岩は『天の御子岩』、大いなる岩の顔は『地の御子岩』とも呼ばれています。
この岩の御心を誰を知りませんでしたが、御子は予めご存知で、幼い時から先生に石を掘っていくと言わせたし、結局42年経ってその日の約束を成就なさいました。

 

大いなる岩の顔の形象

①慈しみ深く謹厳な人の顔の形象

慈しみ深く謹厳な人の顔の形象©摂理

 

②亀の形象

Comming Soon

 

③虎の形象

2014年4月大いなるに発見された新しい形象で、密林王『虎』岩です。

だ。鼻、上唇、下あごが描かれたように、形象がはっきりとしている。
人は、考えないで見ると見えない。15年20年経っても分からない。
考えてみるから見える。

虎の形象©摂理

 

大いなる岩の顔に関する鄭明析先生の詩をご紹介します。

<大いなる岩の顔>

やきもきするほど待っていた人が
待つ人になった

やきもきするほど待っている人たちよ

やきもきするほど彼が待っていると
わが愛よ
伝えておくれ

2012年6月3日

 

祈りの経緯

『私も大きい人になりたいです。』
祈っても、それだけ行わなければならないし、約束通りに、時にならなければならない

大いなる岩の顔©摂理


参考記事

大いなる岩の顔(The Great Stone Face)あらすじ©摂理

大いなる岩の顔(The Great Stone Face)あらすじ


コメント (1件)

  1. 100トンを超える岩を山の上に運ぶ。
    この事を発想すること自体、普通に暮らしている人ではできないし、結局は成功させてしまうところ。
    本当にその精神は計り知れないです。

  2. 100トンを超える岩を運んでくるという不可能にみえることを、実際に成し遂げて可能にしたこと。
    その大きな考えと何としてでも成し遂げる行いに感銘しました!

  3. 100トンを超える岩…

    想像も出来ないですね!

    神様の創造物は美しく、神秘的、雄大ですね♪

  4. 私も月明洞に行ったときにこの岩を見ましたが、とても見事な虎の形象をしていて感動しました!
    そして、岩を運ぶときに落ちそうになった際、先生が「弟子」の無事を心配したことに感動しました。子供の頃から求めていた岩、それが落ちそうとなったら岩が無事かを気にしてもおかしくないですが、そこに先生の人格が表れています。

  5. ピンバック:摂理の実践の精神「やればできる」 | 摂理ブログ 鄭明析先生と共に

  6. 岩を運んだ経緯に感動しました!
    神様の御心の中で成されていることだと実感します。

  7. ありがとうございます。
    岩と先生の経緯を読みながら感動しました。
    「できない」ではなく、最後まであきらめない精神で行なうことが、自分自身の次元をあげていく事につながると感じました。
    次元を少しづつでもあげて、今はできなくても将来にはできるようになりたいです。

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